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パウル・カレルの書いた戦記

「肯定と否定」という映画をAmazon primeで見つけ、面白そうなので見始めた。一旦休止中なのだが、題材は、デービット・アーヴィングというイギリス作家がペンギンブックスに対して起こした名誉毀損の訴訟である。学生の頃、私も氏の「ヒトラーの戦争」という本を読んだことがあり、その視点を面白いと感じたものだ。端的に言えば、いわゆる歴史修正主義というのだろうか、ともかくホロコーストを否定したとして、非難されたことに対して提起した訴訟である。彼は、非難者である女性作家側の出版社を訴え、結果として敗北、賠償により破産した。今も80才で存命であるが、判決後、オーストリアホロコースト否定のかどで有罪判決を受けるなど、袋叩きの感がある。今はホロコースト否定は撤回しているようである。私は、ホロコーストについては、人よりは興味を持ってきたし、多少の知識はあるものの、人様と議論を戦わせるような十分な知識があるわけではない。多数説である600万人という犠牲者数が全てドイツ政府の明示的計画的政策によるものかどうかはともかくとして、少なくとも、無かったというのは強弁が過ぎるだろうという印象を持つに過ぎない。日本人としては、ごく普通か、やや懐疑色が強いほうか。まあ、その程度である。アーヴィングについても、さほど読んでもいないので、一連の結論をどうこう、あまり感慨はない。

しかしだ、この訴訟周辺のことを調べているうちに、ショックを受ける事実に出くわすことになった。私が、戦記のドイツ人の第一人者と位置づけ、その安くはなかった著作の多くを読んだ、パウル・カレルが、今や殆ど無視される存在に成り下がっているというのである。見過ごせるわけないではないか。大木毅氏の「独ソ戦」(岩波新書)という本が最近話題になったが、その中で著者はカレルを歴史修正主義者として酷評している。「独ソ線」という新書は、新味はない(と思われたが)ものの、独ソ戦の様相を概要的に、かつ一定程度定量的な理解もできるように配慮された良書だとは思うが、このカレル評を含め他社著作に対する微分的誹謗中傷が多いことに少し戸惑うというか、違和感すら覚えた。

私は、青春時代にパウルカレルという人物の著作を、比類なき具体性、細部性をもってドイツの戦いを再現してくれる数々の著作を貪るように読んだ人間である。祖父の世代と重なる歴史感性にも非常に親和性を覚える。その恩義もあって世間の片隅からささやかながら、反論の一撃を書いておきたい。

パウルカレルという人物は、ナチス親衛隊のなかの武装親衛隊に属していた人物である。私が読んだ彼の著作は次のとおりであり、いずれもフジサンケイ出版からの単行本であり、かなり紙幅の厚い、しかも大学生の私にとっては安くはない本であった。

「バルバロッサ作戦」(独ソ戦緒戦期から1943のいわゆる”クルスクの戦い”頃まで)

焦土作戦」(”クルスクの戦い”以降ノルマンディー戦頃まで)

「彼らは来た」(ノルマンディー上陸以降の西部戦線における独軍崩壊過程)

「砂漠のきつね」(ロンメル元帥に率いられたドイツアフリカ軍団の栄枯盛衰物語)

「捕虜」(あまり書かれていないと思われるドイツ兵捕虜の処遇)

擲弾兵」(戦車将校クルト・マイヤーの戦記)

いずれも学生の私にとっては、初めて知る戦術戦略レベルの実相であり、ドイツ軍の戦争技術・敢闘ぶりには「さすがはドイツ軍」という頭の下がる思いとともに、留飲の下がる思いを覚えたものである。ただし、実は当時から「それでどっちが勝ったの」というところは確かにある本ではあった。例えば「焦土作戦」で描かれたクルスク戦などは、主題なのに何度読んでもどちらが勝ったのかはわからず、事実を淡々と書き連ねるだけで評価しない著者の態度にもどかしい思いをしたものである。まあ、クルスク戦については、大戦がドイツの勝利で終わる可能性がほぼゼロになったという意味で重要なのであって、海戦のような意味で白黒断じえないものであった、というものであることは理解している。そういった戦い毎の評価があまりない、わかりにくいという面が多く、素人には流れを追いにくい場面も多い本であったのは事実であった。

確かに、虐殺行為に関する詳細な記述は記憶にないが、「捕虜」という本はかなり詳細であって、特にあまり目にすることのなかった中立国スウェーデンのドイツ人捕虜の過酷な取り扱いなどは、中立を守るということの冷徹さの一面を垣間見ることができた。ただし、いずれも被害者はドイツ人であった。

ドイツ兵捕虜に焦点をあてた大著をものにする姿勢からして、パウルカレルが胸奥底に何を秘していたかは、私はわかる気がするし、理解できる。共感すら覚える。それはやはり、ドイツ軍のことはできるだけよく書きたいのである。そういう意味で、最悪の事件についての記載は知っていながら記述していなかった、ということはあり得るだろう。しかし、そのことは、書かれた部分についての真偽と直接結びつくものではないのではないか。私は、歴史修正主義というのは、意図をもって事実を歪曲したようなケース以外にあてはめることは適切な態度とは言えず、多くの場合は、むしろ誹謗の匂いを感じるのである。